『走る』に出会えて私の感情は生まれた
何言ってるんだこの人、と思われるかもしれない。
だけど私は小さい頃、『感情』があまりなかった。
正確に言えば、家族や本当に仲のいい友達以外には、心を開くことができなかった。
いわゆる「最大級の人見知り」。
しかもその”最大級”も度を超えていた。
極力喋らない、目も合わせない、笑わない。。。
たまに笑うと、『あっ!笑った!』とまわりがびっくりするくらいだった。
そんな私が、小学校の頃に唯一無我夢中になれたものがある。
それが『陸上競技』だった。
今振り返れば、陸上競技に出会って私は『楽しい』、『嬉しい』、『悲しい』、『悔しい』という感情に、本当の意味で触れた気がする。
少し大げさに聞こえるかもしれないけど、私にとってはこの表現が一番しっくりくる。
それくらい、私にとって『走ること』は特別なものだった。

第1章:走ることが”自分”を作ってくれた
走るのは、小さい頃から好きだった。
おじいちゃんがマラソン好きで、小さい頃には母と親子マラソンに出たこともある。
今思えば、私は自然と『走ること』にご縁があったのだと思う。
小学校3年生のとき、私は地域の陸上クラブに入った。
周りと比べて背が低かった私は、体力もある方じゃなかった。
小さいながらとにかく自分なりに必死に頑張ってみた。
私が所属していた陸上クラブはどちらかというと、質より量のやり方。
賛否両論あるが、私は量をこなすことが自分の自信につながり、断然こっち派だった。
この頃から私の中に、『継続と努力は、自分を裏切らない』という感覚が自然と染み込んでいった。
陸上競技は、そのまま中学校、高校、そして大学まで続けた。
大会での順位、記録、勝ち負け、大怪我、挫折、、、。
嬉しいことも悔しいことも、本当にたくさんあった。
それでも私は、『走っている自分が好き』だった。『上位で戦えている自分』が誇らしかった。
でも_____。
中学2年の夏、私は人生最大の大怪我をする。
腰の疲労骨折。
しかも、その時期は人生で一番調子が良かった。
何もかもがうまくいっていた。記録も調子も全て順調だった。
なのに、いきなり”走れなくなる”という現実。
『なんで今なの、、、、。』
神様ってこんなに意地悪なんだって、心の底から何度も思った。
母親にもたくさん八つ当たりしてしまった。
でも、本当に悔しかったのは、痛みを感じながらも走り続けた自分自身だった。
もっと早く病院に行っていれば。もっと早く自分を大切にしていれば_____。
でも、過去に戻れるわけもなくて、ただ悔しさだけが残った。
あのとき周りから言われた、
『練習を休むのも練習だよ』
という言葉が、一番私を苦しめた。
『休む🟰離脱』という恐怖。
『ここで止まったら、もう戻れない』という焦り。
走るのが好きだったのに、走れない日々が、私をどんどん壊していった。
第2章:走れなくなった私と、戻れなかった自信
怪我をしてから、私は完全休息に入った。
約2ヶ月、いつもの練習ルーティーンも、仲間と走る時間も、ゼロになった。
『練習場所に行けば、絶対走っちゃう性格だから』
そう母に言われ、練習を『見にいくこと』すら止められた。
身も心も完全に陸上から離れた。
そのうち、体も変わっていった。
『太って悪い方に、、、』
走らない自分、動かない自分に慣れていくことが、何より怖かった。
復帰してすぐ、体力の限界という現実にぶつかった。
予選落ち。最悪なタイム。
仲間に置いていかれ、自分にも置いていかれた。
今まで応援してくださっていた方たちは揃ってこう思っていただろう。
『もったいない、、、。』
実際言葉としては聞いていないが、不覚にもそう感じとってしまう自分がいた。
『もう陸上なんて楽しくない』何度もそう思った。
私の中学最後の思い出は、『悔しさ』、ただそれだけが残った。
第3章:それでも、私はまた走っていた
気づけば私は、高校でも陸上部にいた。
それもそのはず。
『こんな結果で、私の陸上人生が終わってたまるか』
その一心だった。
怪我のブランクは大きく、思うように戻れない。
周りの同期はどんどん記録を伸ばしていく。
焦り、悔しさ、葛藤。それでも、自分のボーダーラインまでは頑張れた3年間だったと思う。
まだまだ上を目指したかった私は、県外の大学へ進学した。
専門種目も短距離から中距離に転向。
でも体力が足りなくて、1年目から周りとの差は歴然だった。
その差を埋めるのには、本当に時間がかかった。
本当に苦しくて、何度も逃げ出しそうになった。
でも______。
『あの時、頑張って良かった』
そう言える今がある。
あの時逃げなかったことが、社会人になった今でもランニングを続けられている『根っこ』になっていると思う。
第4章:現実に打ちのめされた私、それでも___。
社会人1年目。
私は、ぱったり走らなくなった。
『仕事で疲れてるから』、『時間がないから』
そんな言い訳を繰り返しながら、少しずつ、また走ることから離れていった。
急に思い立ってエントリーしたフルマラソン大会。
でも、中途半端な練習しかできなかった私は、途中でリタイアした。
情けなかった。
『私のこれまでの陸上人生ってなんだったんだろう』そう思った。
でも心のどこかで思っていた自分もいた。
『今まで走ってきたんだから、なんとかゴールできるでしょ?』
____そんな甘い考えだった。
現実はそう甘くない。
”頑張った人”、”最後まで諦めなかった人”そういう人にしか、ゴールは見えてこない。
その時の私は、そのどちらでもなかった。
目の前の現実に打ちのめされて、私はまた、走ることから離れそうになった。
なった、、、、。
でも_____気づけば、私はまた走っていた。
第5章:走ることは私を”整える習慣”になった。
私はなぜ、また走っているんだろう?
、、、、いや、
私は、本当に走ることが好きなんだ。
走っている”自分”が、好きなんだ。
嬉しい、楽しい、苦しい、悔しい___
そんなふうに、感情をまるごと感じられるのが、『走ること』だった。
それに気づいた時、私はもう一度、自然と走り始めていた。
社会人になると、時間は本当に貴重だ。
お金では買えない、かけがえのないもの。
その中で、走る時間を”自分で作る”というのは、たぶん、思っているよりずっと難しいことだと思う。
誰かがスマホを眺めている5分、10分、私はその時間を使って走った。
たったそれだけのことかもしれない。
だけど、その5分、10分が、私の人生に確かに”彩り”をくれたと思っている。
もちろん、他人と比べる必要なんてない。
誰かのペースと私のペースは違っていい。
大切なのは、『自分がどうありたいか』っていう気持ち。
もしかしたら、『陸上やっていたから走るのも続くんでしょ』、そう思われるかもしれない。
でも、それは違う。
走ることは”過去の私”が培ってくれたものだけど、”今の私”がそれをもう一度、選び直さなければ、また失われてしまうものだった。
だから私は、これからも走る。
記録のためじゃなく、誰かに勝つためでもなく、
『今の私を、ちゃんと感じるため』に____。

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